見えない重さ
関東圏で60年、堅実に歩んできた老舗の不動産会社。
駅前の再開発や建築事業にも携わり、地元では「信頼できる会社」として知られてきた。
派手さはなくとも、着実に業績を積み上げてきたその姿は、多くの関連企業や顧客から評価されてきた。
その会社に、しえんグループの佐野が足を踏み入れたのは、労務監査のためだった。
経営層から告げられたのは、思いがけない依頼だった。
「ここ数年、社員の休職が増えている。内部で何が起きているのか確かめてほしい」
人事記録を前にした佐野は、手を止めた。
従業員90名。そのうち直近一年で9名がメンタル不調による休職。
全体の一割──数字は冷たくも雄弁だった。
さらに遡れば、10年間で2名の社員が命を絶っている。
記録には「個人的事情」とだけ記されていたが、その文字列は、むしろ何も語らないことで重さを放っていた。
佐野は従業員へのヒアリングに臨んだ。
「働きやすさに課題はありますか?」
返ってきたのは、どれも無難な言葉だった。
「成果を出せば、特に問題はありません」
「評価は人によって違うかもしれません」
受け答えは淡々としている。
しかし、声の調子やわずかな沈黙が、言葉の奥に隠された緊張を伝えてきた。
笑顔の裏に漂う硬さ─
それは数字と同じくらい、彼の経験からすれば見逃せないサインだった。
業績は堅調で、取引先からの信頼も厚い。
だが、社内に積み重なっている“何か”は確かに存在している。
佐野は静かに資料を閉じた。
目に見えない重さが、組織の奥に沈んでいる。
それがどんな形をしているのか、まだ分からない。
だが確かにここにある──その感覚だけは、鮮明に残った。
次回へ続く…
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