仮面の裏側
営業部長の名前が、あまりに繰り返し出てくる。
称賛の声として。頼もしさの象徴として。
だが同時に、その名を口にする社員の表情に浮かぶ硬さは、佐野の胸に刺さり続けていた。
ある日、ヒアリングを終えた帰り際、若手社員の一人がふと声を落とした。
「……ここだけの話ですけど」
佐野は足を止めた。
彼は周囲を気にしながら、吐き出すように言った。
「部長は表向きはすごく穏やかで、誰にでも優しいんです。
でも……数字を出せない人間には、容赦がないんです」
言葉は途切れ途切れだった。
「“無能は排除される”……そう言われたわけじゃない。
でも、部長と一緒にいた人間は皆、そう感じてました」
沈黙の偏り。その理由が少しずつ形を帯びていく。
別の社員も、似たような言葉を残した。
「会議で失敗すると、笑顔のまま静かに追い詰められるんです。
公には叱責しない。でも……“もうここには居場所がない”って、自然と思わせられる」
声を震わせながら語るその様子に、佐野は胸の奥に冷たいものを感じた。
成果を出せば称賛。
出せなければ、じわじわと立場を失っていく。
そんな空気が部内を覆っていた。
佐野の頭に浮かんだのは、過去の人事記録だった。
休職者の多さ。2人の自死。
それらが、この営業部長の管轄と重なる事実。
「合理的で冷酷」──その言葉が脳裏に浮かんだ。
しかし、経営層や取引先の前に立つ営業部長は、
誰にでも笑顔を向ける大らかな人物として評価されている。
仮面の裏に隠された素顔。その二面性が、会社の命運を揺るがしている。
佐野は深く息をついた。
今、目の前にあるのは、ただの労務上の課題ではない。
組織の根幹を揺さぶる、もっと深い問題なのだ。
机上の数字と、現場の声が重なり合ったとき、
ひとつの像がはっきりと浮かび上がった。
──成果を生むカリスマ。
その影で、人が静かに追い詰められていく現実。
佐野の心には、もはや確信に近いものが芽生えていた。
次回へ続く…
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